前日譚

わたしは、雪の降る寒い日に未熟児として生まれた。

かと言って特に病弱ということはなかったが、身体的な痛みや苦しみの感覚が親にはまったく伝わらず、訴えてもいつも「おおげさ」「それくらい大丈夫だ」と言われた。
確かにそれで大事に至ったことはない。
こうしてわたしは痛みや苦しみを抑圧し、ないものにし、それに対して鈍感になっていった。
記憶にある限り、小学生のときから肩こりがひどかったが、
これが当たり前なんだ、大丈夫なんだ。
我慢しなくちゃ、がんばらなきゃ。
そうやって、やってきた。

幼少期から10代くらいまではアトピーや各種のアレルギー症状があり、頻脈もあったが、ひどい病気ではなかった。
10代の後半くらいから、精神的な不調が顕著になってきた。不定愁訴も当たり前だ。
20代は必死に働き、30歳を前にしてバセドウ病を発症した。
もともと頻脈だったこともあり気づくのが遅れ、内科にかかったときには心電図が取れない、今すぐ循環器内科に行ってください、と言われた。
平常時の心拍数が140/分という状態だった。
もともとうつ気味ではあったが、さらにひどくなった。
寛解、復職、再発、休職、これを何度か繰り返した。

30歳過ぎのある日、天啓というのだろうか、直感というのだろうか、何かはわからないが、
今のまま生活を続けていたら必ず再発する、ということがありありと理解できた。
そして会社を辞めた。
このときにはもう体が重くてベッドから起き上がることすらできなくなっていた。

ここまでが、師に出会うまでのわたしの人生だ。
師に出会い、初めて話が通じた、初めて話を聞いてもらえた、そんな感じがした。
それまでに感じてきたさまざまな違和感が氷解するような感覚だった。
師は、山岳修験(神道、仏教)の教えをもとに、人々を導いている。

この世の仕組みや、苦しみの原因、そういったことに関して指導を受けるなかで、人がなぜ不調になるのか、病気になるのか?そういったことも教えてもらい、学んできた。

そして。

機が熟したのか?
38歳、がんになった。